シンガポールはいかにして経済大国の仲間入りを果たしたのか

ぽーーる Good News

「20世紀最大のサクセスストーリーである」シンガポールを形容するのにぴったりな言葉です。1965年イギリスの植民地であったこの地は独立することになります。「世界最大規模のスラム街」実はこの言葉もシンガポールを当時を形容する言葉として、かつては使われていました。

1965年当時、第三世界と呼ばれていた同国も今では、第一世界と呼ばれるまでになりました。それとともに国民の生活水準の向上に伴う平均寿命の長さでは先進国の中でも有数の国家へとなりました。

何がここまでシンガポールを短期間で変革させたのでしょうか。最大の功績こそ前大統領のリー・クアンユー( Lee Kuan Yew)の政策にありました。

他民族からなる国シンガポール

前大統領のリー・クアンユーは様々な角度から国民の生活の質、改善を行っていきました。現在34人に1人が富裕層だと言われていますが、偶然に国家が成長した訳ではないんですね。

成長の要因を紐解いていくと、なぜシンガポールが現在、多民族国家(中華系74%,マレー系14%,インド系9%)なのか、公用語が4つ(英語,中国語,マレー語,タミール語)もあるのか謎が解けてくるでしょう。

読み終えたあともきっとみなさんも同じことを思われると思います。「シンガポールの経済成長は偶然ではなかった。」と。

成長の要因1 自由なビジネスの容認

移民
出典:Statista

シンガポールにおける自由なビジネスの容認は多くのビッグ企業の誘致に成功しました。最短で3時間(最長でも4週間)もあれば会社を立ち上げることができると言われており、複雑なプロセスの多い起業において、なぜ多くの企業がこの国を選ぶのかは説明不要ですね。

また、政府からの資金を元に設立された基金も新規事業者や経営の維持に一役買っており、お金を借りやすい環境が整備されていること、そして所得税が低く設定されていることも事業者にとってみたらシンガポールでビジネスを始める大きな要因の1つになっています。

成長の要因2 Housing development policy

まずは動画をご覧いただけると独立当時に形容されていた「スラム街」のイメージが容易につくのではないかと思います。独立直後は多くの国民が動画にあるような路上での生活を強いられていたという訳です。

この現状を打破するためにリー・クアンユーが打ち出した政策こそ”Housing development policy”でした。簡単に言うと政府が住める住宅を用意しますから、施設に移動しましょう。というものです。この政策は国民の生活環境を向上させるだけでなく思わぬ副産物の一面も持ちました。

住居が確保された以降「国民の仕事でのパフォーマンスが劇的に向上した。」こと。これは今の経済を支える1つの大きな要因になりました。また前述の”自由なビジネスの容認”も相まって、仕事が全国民に行き渡るようになり所得が安定したことで健康状態も改善しました。

利益を最優先としない政策が功を奏した結果と言えます。スラム街からの生活者を救済することに成功し、更には平均寿命も向上していったこの政策は今では、多くの第三世界の国々のお手本となっています。

成長の要因その3 技術部門の発展

ブルー

少しわかりづらい表現の仕方になってしまいましたが、要はシンガポールの地域的な優位性を活かして貿易のHUBとして発展させていこうという政策です。そのための重要な一手が「自由貿易を促進すること」でした。無関税での輸出ができるという点は間違いなくビジネスマンからすると魅力的であり、多くの新規事業設立や企業の移転のきっかけになっています。

また独立後はブルーカラー(製造業、建設業、農業…)の仕事が多かったこの地もエンジニアやプログラマーなどの”Highly skilled professional”の育成を始めたのも今のシンガポールの現状を支える大きな基盤となっています。

成長の要因その4 政治が安定

汚職
出典: Transparency.org

前大統領のリー・クアンユーの先見の明はここでも存分に発揮されることになります。彼は政治指針の透明性を目指したのです。理由は過去にシンガポールに付けられた汚名が原因でした。「政府の腐敗が進んでいる最悪の国家」この言葉通り、1965年当時の同国は政府による腐敗が進んでいました。

そこで彼の在任中に資金が間違った使われ方をしていることを是正し、正しい方法で資金が国民に渡るように制度を作ったのです。結果、市民が貧困から抜け出すことに成功し、世界的なスラム街と形容されていたこの国が、世界でも有数のクリーンな国へと変貌を遂げたのです。

また、政治の安定は企業の誘致を活発にさせました。どんなビジネスマンであっても政治が不安定で治安が悪い地域でビジネスを始めたいと考えないですよね。そう考えると治安の維持、改善はビジネスにおいて成長の重要な要素であるということです。

こちらは国民一人当たりの所得を日本の所得と比べたグラフになります。見づらくてすみません。なんとなくわかっていただけますでしょうか?シンガポールはすでに日本を凌ぐ経済力を手に入れているんですよ。

PPP
出典:TRADING ECONOMICS

他民族国家の理由

ビジネス容易さ、世界のHUBとして輸出がしやすいなど前述の要因も他民族国家である理由の1つです。多くのビジネスマンが夢を持ってシンガポールを目指しますからね。ただそんな短期間で他民族国家になりえるのは不可能に近いです。実は、シンガポールがなぜ他民族国家なのかというのは歴史を振り返っていくと理解できます。

時代はイギリスの植民地時代へと遡ります。1819年シンガポールの権力者とともに意図して貿易の中心地をシンガポールに設立したのです。

実はイギリスが現在の道しるべになっていた

イギリスは貿易のHUBとしての役割をシンガポールに与えるとすぐに貿易のための本部を設置しました。そして豊かな層の人間を獲得するだけでなく、豊かな層の人間の獲得は世界の商人をこの国へと集めることに繋がりました。

以前は個々の国で貿易が行われていたお茶などの取引も、徐々にこの地で行われるようにシフトしていったのです。各国の商人が集まっているため、効率的に物の売買を行えますもんね。結果として莫大な数の移民を獲得することになり1840年~1940年で2千万人の中国人が中国を去り、シンガポールやミャンマー(同じくアジアの貿易のHUB)を目指したと言われています。

現在ではマレー系、インド系、欧州のエリート層までもが集まる他民族国家へと変化を遂げていった背景はシンガポールの歴史にあったんですね。その取引の際に英語が使われていたことも今日の公用語に英語が含まれている理由なんですよ。

まとめ

このように一見経済とは関係のなさそうに見える政策も、リー・クアンユーの知恵によって複雑に相乗効果をもたらし、現在の経済大国の地位を築いていったんですね。今ではアジアのビジネスの足がかりとしてシンガポールに拠点を置く企業も少なくないそうです。シンガポールの時代はまだまだ続いていく見込みです。

これだけ将来性のある国家ですから、有望な自国の若者が海外に流出しないということも長期的な目で見てみると大きな結果をもたらしそうですね。未来のある国家像を見てしまうと日本は将来どのようなな姿をしているのか考えがると得ませんね。明るい未来ならいいですが…。

という訳で今回はシンガポールの経済成長の理由、なぜ他民族国家なのか!解説させていただきました。多くの海外のニュースを配信しています。よかったらこちらのニュージーランドについての記事も読んでみてくださいね!

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